ディエゴ・マラドーナHistory

ただでさえ複雑怪奇、波乱万丈な人間の一生。それがマラドーナのものとなれば、尚更ですが。。。

それでもやってみたかった『ディエゴ・アルマンド・マラドーナ』の生い立ちの記(笑)

目標は世界一の充実度。世界一のコンテンツ(他にやる人がいないだけ???)をこのサイトで実現するために、関係書籍や雑誌、DVDなどからエピソードを拾い上げてはコツコツと作成中でございます。

※とりあえず引退試合までを区切りとしたいと思います。それ以降は目についたエピソードを少々…….

出来事
1960 10 30 アルゼンチン ブエノスアイレス郊外にある貧民街ビジャ・フィオリートで誕生 8人兄弟の5番目
1961 1 5 洗礼式








1963

いとこのベト・サラテから人生初となるサッカーボールを貰う ※革製の1号球












1969

親友のゴージョに誘われアルヘンティノスのテストを受ける。ロス・セボジータス誕生(★)★9軍登録(14歳)まで所属するアルヘンティノスの下部組織。マラドーナは10番、親友のゴージョは9番をつけてプレー












1969~1973 コルネーホの元、ロス・セボジータス(★)の一員として136連勝を記録



この頃(アルヘンティノスの下部組織に所属しながらも)、インデペンディエンテのボチーニに憧れていた



正式に登録されていない年上のチームにも助っ人として参加。しかし“セボジータスのマラドーナ”があまりに有名だったため、『モンターニャ』という偽名で出場していた







初めて新聞に記事が載る(1971.9.28 クラリン紙)『スタイルとクラスを感じさせる期待の新人』※名前が“カラドーナ”と、間違って表記されていたらしい(笑)



トップチームの試合でボールボーイを務めた際に、セボジータスの監督コルネーホの計らいで、ピッチの真ん中でリフティングを披露。喝采を浴びる












1974 3
アルヘンティノス・ジュニアーズの9軍に昇格(セボジータスで9軍のチャンピオンに)
1974~1976 8軍に昇格(セボジータスのまま)。シーズン途中で7軍に昇格。2試合に出場し5軍へ昇格。4試合に出場し3軍へ昇格し、そこで3試合に出場して1軍へ昇格する
















1976 10 20 アルヘンティノス・ジュニアーズでプロデビュー vsタジェレス(Away) ※結果は敗戦家を出る時には、白いシャツに青いコーデュロイベルボトム(これしか無かった by本人談)後半開始からジアコベッティに代わって出場。背番号16





11 4 プロ初ゴール vsサンロレンソ







2歳年上のシテルスピレールが正式にマネージャーになる※それまでは口約束での手伝いといったレベルだった




1977 2 27 アルゼンチン代表デビュー vsハンガリー (会場はボンボネーラ)※16歳120日のA代表デビューは、当時の史上最年少記録当日は「とにかく休みたかったから」朝食はとらずに11時に起床後半20分前後、ルーケに代わって出場。すぐにガジェゴが回してくれ、初のボールタッチ。




1977 6 28 近所に住んでいた(8ヵ月ほど前から意識していた by本人談)クラウディアとダンスパーティで親密になる。ちょうど踊り始めようとした時に流れた曲が「君にプロポーズを」








1978

メトロポリタンリーグで初の得点王を獲得(22ゴール)







ワールドカップ・アルゼンチン大会メンバー落選 ⇒メノッティ監督は若く経験不足と判断※諸説には、軍事政権による大会運営という背景から、マラドーナをデビュー巻き込みたくない  という、メノッティの思いやりだったとの見方もあるメンバー落選の発表後、ルーケとガジェゴの2人がマラドーナを慰めにきてくれた



メンバー落選の2日後、アルヘンティノスに戻り試合に出場。 vsチャカリータ 5-0で勝利マラドーナは2ゴール2アシストを記録。1点目を挙げた直後、チャカリータの選手ウギート・ペナが近寄ってきて肩に手をまわし、「ディエギート(“ディエゴ”の相性)、心配するな。君は何回もワールドカップに出て奴らの口をふさぐことができるんだから」と励ましの言葉をもらう









11
ユース代表のメンバーとしてニューヨーク・コスモスと対戦。2-0で勝利 ※マラドーナは1ゴール試合後、挨拶にきたベッケンバウアーとユニフォーム交換












1979 6 2 A代表初ゴール vsスコットランド(ハンプデン・パーク) 3-1で勝利













9
ワールドユース日本大会で優勝&MVP 6得点(得点王はラモン・ディアス8得点)※決勝戦後、アルゼンチンの選手がビクトリーラン。その興奮も醒める前に、国立競技場に  『蛍の光』のメロディーが流れる。  あの状況で、早く帰ろう的な雰囲気を作ろうとした日本の運営にはビックリ(笑)











アルゼンチンスポーツジャーナリスト協会からオリンピア金賞が授与される











南米最優秀選手賞受賞
1980

南米最優秀選手賞受賞
1981 2 20 ボカ・ジュニアーズに移籍

2 22 ボカ初ゴール(PK) vsタジェレス
1982 6
ワールドカップ・スペイン大会<2次リーグ敗退>









8
バルセロナに移籍 ※最初にドラッグを経験したのはこの頃だったと、後に自著にて明かしている




1983 6 4 スペイン国王杯優勝

9 24 試合中、ゴイコチェアにやられ足を骨折 vsビルバオ




1984 5 5 スペイン国王杯決勝で、大乱闘 vsビルバオ

6 30 ナポリに移籍









7 5 サンパオロのお披露目会見に7万人が集まる

8 22 コパ・イタリア vsアレッツォがナポリでのデビュー FKで初ゴール

9 16 セリエAデビュー vsベローナ

9 23 セリエA vsサンプドリア PKからセリエA初ゴール




1985 2 24 セリエA vsラツィオ セリエAでは自身初となるハットトリック

9 3 ユベントスに13年ぶりの勝利




1986 6
ワールドカップ・メキシコ大会<優勝>



























準々決勝vsイングランド神の手&5人抜き(※ベアズリー、リード、ブッチャー、フェンウィック、シルトンを抜く)ゴール





















9 19 恋人クリスティアーナ・シナグラとの隠し子誕生 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ・ジュニア



バロンドール受賞



南米最優秀選手賞受賞




1987 4 2 長女ダルマ誕生

5 10 1986-87シーズンのスクデット獲得 ※得点王も獲得(15ゴール)



コパイタリア優勝 ※得点王も獲得(6ゴール)




1988 5
首位を独走していた1987-88シーズンだったが、残り3試合を連敗でスクデットを逃す。マラドーナはコンディション不良により最後の2試合は欠場<<ナポリの八百長疑惑>>シーズン終盤の失速があまりに不自然だったため、八百長疑惑が囁かれた。前年(1986-87)の優勝があまりに予想外で、大金を損した闇賭博の胴元がナポリに圧力をかけ、八百長を仕組んだのではないかと。この年はナポリ優勝に付けられたオッズが不自然に高く、ナポリの連覇に賭けて大金を儲けようとして大損した人が続出したらしい⇒マフィアは大金を取り戻した?

8
ゼロックス・スーパーカップでナポリの一員として来日 vs日本代表




1989 5 16 次女ジャンニーナ誕生

5 17 UEFAカップ優勝 決勝はvsシュトゥットガルト



ナポリの会長フェルライーノとの確執が表面化する「マラドーナが望んでいたマルセイユへの移籍を、UEFAカップで優勝したら認めると会長は約束していたが、それを反故にされた」とはマラドーナ談

11 7 クラウディア・ビジャファーネと結婚 ※出会いは1976年10月







南米最優秀選手賞受賞








1990 3 28 マラドーナが来日し、サッカー教室開催私(当時12歳、中学校入学直前)とディエゴ、運命の出会い



スクデット獲得

6
ワールドカップ・イタリア大会<準優勝>



予選リーグ vsソ連では、神の手(右手)で相手のシュートを防ぐ







チームメイトのバティスタが先発メンバーから外されて落ち込んでいると、マラドーナが無断で合宿所を抜け出し、ロレックスを買ってきてプレゼントした(※無言で渡して出て行った姿に、励ましの気持ちが伝わったとはバティスタの弁)バティスタは86年ワールドカップ優勝メンバーで2008北京五輪優勝監督



























決勝戦 メキシコ人のコデサル主審









9 1 イタリアスーパーカップ優勝 vsユベントス







南米最優秀選手賞受賞




1991

ナポリ検察庁が売春と薬物の疑惑を発表

5 17 バリ戦後のドーピング検査で、コカインが検出される



セリエA最終戦 vsサンプドリア PKでイタリアでのラストゴールを記録







15ヶ月間の出場停止処分




1992 9 28 セビージャに移籍 ※監督は86年のワールドカップをともに戦ったカルロス・ビラルド。







南米最優秀選手賞受賞








1993 2 18 アルゼンチン協会創設100周年記念試合 vsブラジル にて代表復帰

4 26 ブエノスアイレスにて。麻薬所持の疑いで地元警察に逮捕される

5 15 Jリーグ開幕※ドラッグなどの問題がなければ、名古屋入団の話があったらしい。1987年にはトヨタのCMに  出演(中近東向けで、日本では放映されず)していて、接点もあった

6
監督に「出場してくれ」と言われ、ハーフタイムに痛み止めの注射を3本打って後半に臨んだものの、わずか10分で交代させられ激怒。監督との仲は崩壊し移籍へ





9 13 ニューウェルズ・オールドボーイズに移籍

10 10 ニューウェルズにて公式戦デビュー vsインデペンディエンテ








1994 2
マスコミにエアガンを発砲。執行猶予がついた禁固2年の有罪判決





6
ワールドカップベスト16 <開催国:アメリカ>※ナイジェリア戦後のドーピング検査(看護婦が出迎え)で、エフェドリン検出により追放

8 24 FIFAが15ヶ月間の出場停止処分を決定

10 3 マンディージュ・デ・コリエンテスの監督に就任※資格はなかったが、協会から特別にベンチ入りを許された

12 6 マンディージュ・デ・コリエンテスの監督を辞任 12試合で1勝5敗6分








1995 1
ラシン・クラブの監督に就任

5 6 ラシン・クラブの監督を辞任 11試合で2勝3敗6分

8
ボカ・ジュニアーズに移籍

9 30 出場停止が明け、ピッチに復帰 vs韓国代表




1996 4 4 当時世界フライ級王者のハシアーと、15度の防衛成功記念としてボクシングの特別試合を行う







フランスフットボール誌より、その功績を称えられ、サッカー功労賞を受賞




1997 8 28 vsアルヘンティノス後のドーピング検査で陽性反応※裁判所は判決が出るまでの出場を認める

10 25 現役最後の公式戦vsリーベル・プレート※試合後のドーピング検査でコカインが検出される

10 30 37歳の誕生日。現役引退を発表








1999

アルゼンチン・スポーツ記者より、20世紀最優秀スポーツマンに選出される
















2000 1 4 ウルグアイで休暇中に心臓発作を起こす※コカインが原因で、心臓組織の38%しか機能していなかった

1 25 取材に訪れたカメラマンに、車の窓ガラスを割って怪我をさせる












2001 11 10 ボンボネーラにて引退記念試合が行われる




































2002 4 3 長女ダルマの誕生日に、ボンボネーラを借り切ってパーティ。花火やレーザーショー、ライブ演奏など、延々と翌朝9時まで。。。。。。









6
ワールドカップ・日韓大会でドラッグ服用歴により、入国を拒否される。その後アルゼンチン大統領の介入で、観光スポーツ大臣の代理人として来日が認められる(笑)
















































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